人生を変えたアムステルダムのカフェでの体験から
Supremoができるまで
19歳から8年間、外国航路の無線通信という、珈琲屋とは無縁の仕事に就いていました。
そんな中、巨大船舶に乗って世界中の国を廻り、在職中の長期休暇にも国内外を問わずまだ見知らぬ土地へ旅に出かける・・・そんなグローバルで行動的に過ごした20代前半、オランダのアムステルダムのホテルのカフェで生涯忘れることのない体験をしました。
それは宿泊したホテルのカフェに入った時の事。店内に満ち広がる甘く香ばしいコーヒーの香りに衝撃的な感動を受けました。コーヒーもフレッシュ感があった。
当時日本はコーヒー専門店出店ブーム、だがアムステルダムの"あの香り"はなぜか無かった。
しかも何杯も飲むと胃がむかついた。
どこに行ってもコーヒーの飲み歩きは欠かさなかった私が嗅いだことのない豊かな香りに出会った瞬間でした。
そして26歳。アムステルダムのあの香りを自分の手で再現すべく、独立の道を歩み始めました。船を下りた2か月後には修行のため自家焙煎店の扉を叩いたのです。あらためてコーヒーの奥深さを知り、益々のめりこむ日々でした。
後で勉強してわかった事だが高品質のコーヒーはヨーロッパへ、コーヒーでは後進国の日本には低級品が輸入されていた。流通システムも悪く店にある煎り豆の鮮度もよくなかった。
高品質なコーヒーとは寒暖の差の大きい標高の高い産地の豆で、その年に収穫したニュークロップ(お米でいう新米のようなもの)を使い、焙煎技術も高く煎りたての新鮮なものだった。 日本には低地産の豆や虫喰い豆や未熟豆の混入の多い安い低級品が回されていた。
また、倉庫で在庫した古米のような香りの抜けた豆が多かったので煎りたてでも香りが少なかった。
いよいよ開店へ
1生豆の品質、豆の丁寧な選別、煎り豆の鮮度の3つをキーワードに・・・
小型の焙煎機による自家焙煎。
当時では珍しい生豆の共同購入と小分けシステムのグループに入ることができ高品質の生豆も確保することができた。
また、焙煎技術や抽出技術も業界の第一人者から習うことができた。
そして34歳、念願の自家焙煎の店「珈琲屋スプレモ」を地元、三次に開店